あさましさ

むしゃくしゃしてやるせない夜に技術が足りないことを呪うのです。

 

 

磨きあげ洗練された己の技術を活用しつつ最大限己の肉体を行使する、そんな姿に憧れるのです。例えばダンサー、例えばギタリスト。今までの血の滲むような鍛錬で培ったその技術をただ無心に自分自身の不満鬱憤劣情鬱積歯痒さジレンマ蟠り、そういった負の感情を晴らすために、雲散霧消で曇り一点もなき快晴のごとく晴れ渡るために、優雅に舞い過激に鮮烈に怪我すら厭わず自我を忘れた虎のように、我に返って血に塗れた因幡の白兎に気付くように、6本の狂った鋼の振動に指から鮮血飛び出すように、肉体を酷使するそんな姿に憧れるのです。

果ては脱力。迸った汗水に、一気に冷めゆく体温。息は荒く、視点は定まらない。地面に仰向けで倒れ込んでは周囲を気にすることもなく、雲一つない空をただ眺めるのです。

冬。気温は一桁。自分自身の輪郭が明確になります。周囲に溶け込むことは許されない。自分自身を嫌というほど感じさせる冬。どれほど清々しいんでしょう。他者のそういう姿を夢想しては嫉妬にむせ返る。ひとつだけ願いが叶うならば、無心になれる技術をください。愚者の浅ましい願いです。

やむなく野に放たれ、遅い足で駆け出しては立ち止まり、柔軟性のかけらもなく飛び跳ねる様甚だ醜いでしょう。格安娯楽の煙草に火をつけ、指が煙で臭くなる。ただ伸びきったボサボサの髪を掻き乱しては言葉にならない言葉を叫ぶばかり。他者の考慮と他者への配慮はドブに捨てて眠りましょう。

 

 

おやすみなさい、今日も疲れました。

 

 

 

休息

仕事の休憩中に外階段で煙草をふかしていた。5階建てのビルでそれぞれの階の扉近くに小さな灰皿が置かれている。立ちながら吸うのもめんどくさく、日曜日で同ビル内の会社は休みのところも多かったため、階段に座り込んで一服していた。11月も下旬であるにも関わらず、そんなに寒くない。チェーンスモーク日和ねとへらへらしながら休憩時間の許す限り煙草に火をつけていると、背後で扉の開く音がした。お互い社畜やな、でも頑張ろうぜと背中で語るやさぐれたサラリーマンを演出しようとしていると、声をかけられた。

「先生?」

終わりである。将来有望で無限大の可能性に満ちた教え子に煙草吸ってるところを見られてしまった。社会人としてどうなのか、教育者としてあるまじきワンシーンではないか。ただ、休憩中なのでそんなに問題もないのでは? 会社にばれたら首かな。そもそも煙草めちゃくちゃ嫌いだったらどうしよう……。みたいなことをいろいろ考えつつ、不自然な挙動で「コンニチワ…」とあいさつを返す。なんか笑ってたので、悪い印象ではないぞ、と思いつつ野生の猫に近づくみたいに恐る恐る話しかけてみた。メンチカツが挟まったパンを食べに来たらしい。小腹を満たすときは外階段で食事するのが習慣のようでフィクション世界の住人みたいと思いつつ、おれは煙草の火を消さない。勿体ないので。ただ、煙草嫌いだと申し訳ないので、それとなく聞いてみると周囲に喫煙者が多いらしく、大丈夫ですよとのこと。ほっと胸をなでおろしつつチェーンスモーキングしてると、目をまん丸にして何本吸うんですか? と驚いている。時間の許す限り……とつぶやくと真顔になった。それでもなんとなく会話は続いて、お互いの近況とかポツリポツリと話し合った。

なんだかんだで時間はあっという間に過ぎて、教室へ戻ろうとする教え子。去り際におれの方を見つつ、先生は優しいですね、と言葉を残して階段を登る。階段を見上げて理由を問うてみると、帰る時にちゃんと挨拶してくれるから、とのこと。当たり前のことですけどね、と笑う教え子の姿を見て、思わず笑ってしまった。結局おれは休憩時間の許す限り煙草を吸い続けた。そして階段を登って仕事場へと向かった。

 

 

 

 

 

 

洗濯槽のクリーニングorすすぎ2回

当方ゴリゴリの文系です。中学まで得意だった数学は高校入学と同時に苦痛科目と相成り、実験の楽しさだけで好きだった理系科目は座学のみで興味を失いました。なので、理系のうんぬんかんぬんは全く持ってわからない。そして情けない。

 

今年の3月に我が家へやってきた新品の洗濯機。柔軟剤をつかえどいい香りがしなくなったため、洗濯槽の掃除を試みた。ドラッグストアで洗濯槽掃除用の液体を購入し、さっそく使う。液体を洗濯機へ注ぎ込み、給水する。3時間ほどそのままの状態で寝かせた。汚れがわんさか湧いてでるかと思いきやそうでもない。期待外れか、と思いつつ、運転を開始する。ただ、目には見えない汚れみたいなものって存在しますもんね。終了後、ワイシャツとバスタオルを洗濯した。

 

柔軟剤は「オム」を使っている。テディベア風のクマが描かれた真っ青なパッケージの柔軟剤。割と値段は張るが、においに厳しいおかんのお墨付きなので使っている。蓋をあけるといい香りが鼻腔をくすぐる。毎度毎度優しい気持ちになるわけです。柔軟剤っていいね。だが、柔軟剤はすすぎが完璧に行われないと、なまぐさくなってしまうらしい。ずいぶん前にインターネットで見てから、すすぎは3回に設定している。なまぐさいの嫌ですもんね。ただ、洗濯槽掃除終了後の選択ではなんとなく2回にしてみた。いつもとは違う条件が2つ。洗濯槽がきれいになった。すすぎが2回。そんな状態で仕上がったワイシャツとバスタオルはめちゃくちゃいい匂いがした。女の影さえ感じ取れるくらいに。

 

ここで、実際にいい香りになった原因が特定できないわけです。洗濯槽の汚れが原因でいい匂いにしあがらなかったのか、すすぎ3回が原因だったのか。これは永久的にわからない。理系の人はこういう場合ひとつずつ行って確かめるんだろうなと勝手に思った。なにがなんだかよくわからないまま、洗濯物の香りを嗅いで優しい気持ちになる。当方ゴリゴリの文系人間で文章にしたためるくらいしかできねえなと気付けば夜である。

 

追伸

有機化学のにおいを専門的に研究していた同僚が、女の甘い独特な匂いは「ラクトン」と呼ばれる化合物によるものだと教えてくれた。寂しい男たちはラクトンの香りを嗅いで眠ろうぞ。

 

 

 

▶︎にげる

まったく動く気になれず身体も重く何をするにも億劫であったため仮病を使って半休をとった。社会人としてかつ1人の人間として圧倒的に弱い。弱肉強食の世界において大成しないことは火を見るよりも明らかである。

 

高校の頃友人が非常に少なくほとんどひとりであった。むしろひとりを積極的に好み、音楽を聴き読書に耽溺する3年間。本当は寂しがりやだった。ドラクエⅢの主人公性格決めでも「さみしがりや」と診断されるレベルの筋金入り。それもひとりでいることに慣れてしまえばどうってことなかった。おれには音楽があって読書がある。映画も好きだ。だからひとりでいようとなんら苦痛はない。自分の胸の内に巣食う澱みたいなものを表に出すこともなく淡々と日常を消費する毎日。

ひとりでいれば全ては自分に返ってくる。無為な怠惰の日常のしっぺ返しは全て自分で賄うのみ。先は真っ暗で、憧れはあくまで別世界。思春期特有の親への憎しみも相まって冷静なる諦観の念とともに三大欲を満たすだけ。

 

それでもよくしてくれる心優しい友人はいた。本当にありがたい存在。記憶はおぼろげだが、楽しい瞬間は確実にあった。ただ、満たされ過ぎてしまうと欲が出る。あくまでひっそりと息を吸って吐く。自戒しつつだらだら生きるもやっぱり欲がでた。純粋に人と話してると楽しかった。友人宅のベランダでした花火。バイト終了後だらだら無駄話しつつ燻らせるタバコ。たまに行く旅行。挙げるときりがないがすべてが楽しかった。どんどん欲が湧いて出る。バンドもした。ほとんど僥倖。まさか自分の人生においてそんな経験ができるなんて思ってもみなかった。いつしか別世界の憧れが、自分自身の人生になってた。胸の内の澱すら打ち明けることが出来る彼女も出来た。読書、音楽、映画の類はいつしか娯楽へと変わっていき、自分にとっての精神的支柱は人になった。さみしがりとしての心は満たされて、孤独に耐えうる心はどんどん弱くなっていった。

 

 そして、支柱を失うわけです。まいった。非常にまいった。ぶれぶれで孤独に打ち勝つ心もない。仕事も休んでただぼんやりとしている。失うことは仕方がない。遅かれ早かれ必ずやってくる。ただ、その状況に耐えうる強さみたいなものが消え失せていた。優しい言葉投げかけてくれる人いっぱいいるのありがたいけど、今はまだちょっとダメだ。たぶんもうちょい先にならないとすべて受け止めれない 。整えよう色々。先はまだ長い。

 

 


ポケモンDP BGM「フレンドリィショップ」

 

 

 

 

 

俯瞰

自転車パンクしてました。ふざけるな!と神に対して怒り表明したいわけですが、こればっかりは私が悪いのです。

 

会社の同期とラーメン屋に行って酒をばこばこ飲み酩酊状態。基本己への憐憫です。かなしい!げろげろ笑いつつベロベロに酔っ払いいわゆる千鳥足。終電で帰宅し、駅前の駐輪所へと向かうわけです。背にあるリュックを腹側へ回しジッパーをオープンするとタバコが見つかるわけでございまして、一本口に咥えます。そして火をつける。自転車に乗りながら吸うことはできないのでのろのろ速度でちんたらちんたら自転車を押しつつ紫煙を燻らせます。看板には路上喫煙過料2000円とあるわけです。違法行為であるとしりつつ、喫煙所がないことを呪いつつ、財布の中身を勘案しつつ、酒に酔った不甲斐ないかつうだつの上がらないサラリーマンはとぼとぼ歩くわけです。片側1車線の道路。夜半に差し掛かり車は走らない。サイドに控える線路は電車走らせることなく、静謐が漂います。どんどん力は腑抜けて、まともに自転車を押すことも能わない。半ば引きずるようにして自転車を連れて歩きます。そしていよいよ手元を完全に離れ、自転車は道路に倒れ込みました。私が離したわけです。じゃあ残るは道路に横たわった自転車とタバコをふかすいかれたリーマンだけです。ほとんど吸いおわりに差し掛かり、指で弾き飛ばします。いつかみた花火のようでした。ぼろぼろの革靴で火の息の根をとめ、倒れた自転車のハンドルを持ち、引きずり回しました。憂歌団の嫌んなったを歌いながら自転車に鞭打つ。ある程度すすんで気がつけば自転車はパンクしていたわけです。身から出た錆。神も仏もいます。私に罰を与えたのです。不甲斐ない私をどうかお許しください。とおもいつつ風呂に入る気力もなくせめて歯磨きだけはしようと深夜、換気扇の音がやかましいここは自室。朝はまだこない。

人工甘味料的生活

これまでの感情がひっくり返って単純に憎しみだけを抱くことができればどれだけ楽な気持になるのかと思う。

 

嫌いだった上司と最近仲がよくなりつつある。ひょんなことから上司がおれのことをいじりだし、距離が近くなった。ただ、始まりはきっとおれにある。上司の人間臭さを感じるようになってしまったのが運のツキであった。

 

基本的に上司は数字の鬼で、数字のことしか頭にない。数字をとることが出来なければ叱責され、頼りなさを陰で愚痴られる始末。そんな側面だけを見れば、ちまたに存在する頑迷固陋、因習に囚われた中年男性でしかない。しかし、彼は独身である。休日を返上して仕事に打ち込み、圧倒的な業績の悪さを詰問され、耐え、下に落とし込んでいく。ポロリとこぼしたプライベートな話は冷蔵庫が壊れた。寂しいと思ってしまった。さらに彼はカツラである。禿を隠すために鎧をまとう。多くの人には知れ渡っており、せつなさに胸を締め付けられる。

 

上司は上司ではなく、一人の人間なのだと知ってしまったわけである。それを知ってしまってからではもう手遅れで、邪険に扱えず、ただひたすらに憎むことさえ許されない。感情は混ざりあい、さながら可視化されるホコリの如く色彩で輪郭はぼやけてしまった。

 

人間根っからの悪人はまあそうそういない。とある状況下において、悪を発揮してしまう。夏目漱石先生もそうおっしゃいましたね。

 

平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです。

 

そう思います。本当に。ただ、どうしても悪の部分だけでなく、それ以外の善に魅かれてしまう部分があるのです。だからこそ憎みきれず、人口甘味料的に人と接してしまう。

 

上司に元気ないねと言われたので正直に話したら、おいしいものを食べに行くぞと言われました。その後ラインで丁寧に「時間が癒してくれる」との文面を送ってくれました。それに対して、仕事頑張ります、と返信すると、「気晴らしが大事です仕事ばかりじゃなくていいんですよ」との言葉。非常に参った。仕事が辞めづらくなってしまった。

 

 

予習復習

大学時代のバイト先の先輩が読書してるおれに対して「時間かけて読書する理由ってなに? コスパ悪くない?」と嘲りつつ問うてきたことがありました。その唐突で嫌味ったらしい言葉に対し機転を利かせた当意即妙の返答は出来なかったけれど、今はきちんと言葉を持っています。「自分の人生では補えない他者の人生を追体験すること」ってのが意義。

 

想像力の欠如による他者への悪辣な態度を嫌う性質を持ち合わせている一方で、賄いきれない部分は往々にして存在します。それを補ってくれるのが読書であり、得た他者の人生は自分へと反映され血肉となるわけです。

 

また、読書には別の効用もあります。得た人生はこれから先の自分自身の人生において先手として機能します。端的に言えば「予習」となるわけです。

 

流石に村上龍みたいに、黒人のパンパンを自らの腹上でくるくる回転させることはありませんが、思春期のころに読んだ淡い恋愛小説や青春活劇。仕事と日常生活の中で板挟みになり、身動きがとれず、堕落していく物語。天秤にかけ、折り合いをつけ諦観の念と共に年を重ねる話。これから先の凡庸な人生の一つの指針となるそれらを実際に経験することは予習に対しての「復習」に値するわけです。

 

職業柄、復習についての意義を説くことが多いですが、復習は苦を伴います。正直しんどいです。丸投げでそのままにしてほおっておく方が断然楽で、逃げてしまいたい気持ちは山々です。しかし、突拍子もなく、「復習」する機会がやってくることだってあります。対岸の火事でいたかった感情を強制的に押し付けられるのはたまったものではありません。向き合わざるをえなくなり、想像が現実となって己が精神をじりじりと焦がすのです。

 

ただ、苦痛を伴う復習ですが、その効果は絶大です。たぶん一回りくらい大きくなるのです。先で見る景色はすがすがしさと共にありましょう。幸福の予習は済んでいるので、きっとそう言い切れるのでしょう。